【技術エッセイ】歯車が拓く人と機械の未来

 半導体素子の進歩に伴い、コンピュータは驚く程高性能になった。
 処理能力が増加したのは勿論だが、パソコンやスマートフォンのように、生活を便利で豊かにする道具としても、着実な進歩を遂げてきた。

 しかし人間の欲望は限りない。
 コンピュータが便利であればあるほど、より多くを望むようになり、それが自律的で高性能であるほど、もっと賢かったらと願うようになる。

 確かに、人工知能を利用したと主張する製品やサービスも溢れているが、誰もが想像する機械による知性は、まだ実現していない。それでも着実に進歩しているのは確かで、近年ではDeep Learningが注目されるようになった。AIの開発において、新たなステージに突入したと言えるかもしれない。

 機械による知性は実現するだろうか。
 それは誰にも分からない。本当の意味での知性の実現には、いくつもの技術的なブレイクスルーが必要だろう。そして、未知の発見を前提にした予測はただの願望でしかない。

 ただ、AIをより深く理解するために、過去にさかのぼって、その歴史を辿るのことはできる。それは興味深いだけでなく、AIの未来を予測するのに役立つかもしれない。これから一連の記事で、それを試みるつもりだ。

 人工知能の歴史は、コンピュータの歴史と重なるが、最初からコンピュータという謎めいたものを作ろうとした者はいないだろう。欲しかったのは仕事(計算)を肩代わりする道具であり、計算に時間を費やしている人々の素直な欲求でもある。そして計算を肩代わりしてくれると言うことは、弱い人工知能と言えなくもない【1】。

 定義はともあれ、最初の計算機を完成させたのはブレーズ・パスカルだろう。計算機の発明者はドイツのヴィルヘルム・シッカルトだとされているが、残念ながら火災で永遠に消滅してしまい、開発は中断されてしまった。最初の発明者としての栄誉はシッカルトのものだろうが、実際に製品レベルに到達したのはパスカルの計算機である。パスカルの製作した計算機は今も、少なくても10台が現存している。

 この計算機は箱型で、机上に置いて使用する。上面にダイヤルがあり、これを回転させることで数値を入力する。加算と減算を行うことができるが、乗算と除算はそれぞれ加算と減算に展開しなければならない。

 この歯車で出来た複雑な装置は、徴税官だった父エティエンヌの仕事の軽減を願うパスカルの想いから生まれたようだ。当時のフランスの各通貨単位の変換は非常に複雑で、10、12、20進法【2】,【3】が採用されていた。税務関係の金銭勘定が膨大な作業量だったことは想像に難くない。計算機があれば、父親の仕事は多いに楽になるはずだ。それだけでなく、多くの人を退屈で、時に苦痛を伴う作業から解放することができる。

 こうして若干20歳の青年が計算機の開発に取り掛かった。2年程で最初の製品が完成して、その後約8年間に渡り製作が続けられた。この計算機はパスカリーヌと呼ばれ、合計で53台製作された【4】。減算に補数を使用するなど、現在のコンピュータにも使われている手法が組み込まれ、若き天才パスカルの名に相応しい最先端の製品であったが、価格も高く、パスカル家を潤すことはなかった。

 パスカリーヌに人々の生活を変えるほどの影響力はなかったが、人間の脳でしか出来なかった作業=計算の一部を機械に実行させることに成功した。
 もちろん人間は遥か昔から、ずっと道具を使ってきた。服は自身の体毛の代わりに、ナイフは野獣の鋭い爪の代わりに、馬は移動が遅い人間の足の代わりに。しかし計算機は脳を補完する。それは、今までの身体を補助する道具とは一線を画すものだった。

 この時から、人と機械の新しい歴史が始まったのかもしれない。
 我々はさらにコンピュータの歴史を追い、AIとの関わりを見ていくことにしよう。

【1】 少なくても人工知能学会の一般向け説明によればであるが……
https://www.ai-gakkai.or.jp/comic_no1/

【2】内山 昭「計算機歴史物語」, 岩波新書, 1983年 , 111項

【3】永瀬春男 「秩序と侵犯ーパスカルにおける計算機体験の意味ー」, 岡山大学
文学部研究叢書 23, 2002年, 14項

【4】【2】と同書, 110項


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