2.プロローグ


 ヘスペロスは「窓」を通してその世界を見ていた。

 壮麗な城を中心に抱く活気のある城下町。周りを取り囲むようにして広がる農村。さらに遠方には、美しく壮大な山脈が連なっている。
 豊かな自然に囲まれた人々の暮らしは牧歌的で、工業化は成し遂げていないようだ。時代は中世くらいだろうか……

 そこは彼の常識からすれば奇妙な場所だった。
 だが、客観的に見ればヘスペロスの世界と双子のように似ている。科学技術の発達したヘスペロスの世界とは、やや時間軸がずれているが、高い次元から見れば隣り合った世界なので、似たような歴史を辿っているのだろう。

 美しい風景を眺めるのは悪くない。それはヘスペロスの世界では失われて久しい。
 ただ、「窓」を作る場所に制限は無いので、風景ばかり見ているのも味気ない。
 今、ヘスペロスが覗いているのは、城の主である王の後宮。
 広大な城内にあり、唯一の出入口は宮殿と繋がっており、常時警備兵によって守られている。しかし隠されているとなると、つい見たくなるのが人間の性だろう。
 正確に言うとヘスペロスは人類ではなく、AH=アドバンスド・ヒューマン-遺伝子改良によって人為的に進化した種族-だが、その本質は変わっていない。

 後宮の中はやや薄暗く、廊下に配置された壁灯がレリーフを施された大理石の壁を幻想的に照らし出している。廊下には後宮の女達がゆっくりと歩いているが、半数は裸だった。
 裸の女達はオダリスク。王に仕える寵姫達だ。求めらた時はいつでも応えられるように、後宮内では常に裸でいるらしい。君主の相手として選ばれた女性なので、みな若く、そして見目麗しい。服を着ている女達は女官で、オダリスクの世話係だ。やはり美女ぞろいなのは、女官達も、かつてはオダリスクだったことをうかがわせる。

 古代ローマ時代のような大理石の廊下と、女官を従えて優雅に歩く裸のオダリスク達。まるで名画のような光景だが、「窓」の向こうは本当に存在する現実の世界だ。
 ヘスペロスはいつまでも眺めていたい気分を振り払って、お気に入りのオダリスクの部屋へ「窓」を移動させた。「窓」を出現させる座標に制約はなく、しかも、こちら側からしか見えないので、誰にも気付かれる心配はない。

 window = WorldGate(location=current_cordinate, shape=(2,1), state=hidden)

 ヘスペロスはほとんど意識することなく、コマンドを思い浮かべた。僅かな待ち時間の後、AAI-アドバンスド・アーティフィシャル・インテリジェンスーが次元を貫く「窓」を作成した。AHは遺伝子改変によって、脳内にAAIへのインターフェースを持っている。そのお陰でAAIの持つ膨大な能力の一部を利用する事ができる。

 window.location = pickle.load(save_data)

 窓の座標は本来、彼の世界のどこかを指定するものだが、この隣接した世界の座標も指定できる。座標の指定方法はヘスペロスが偶然発見したもので、ある遺跡で発見した旧式のコンピュータを使って計算したものだ。AAIはヘスペロスの世界の管理者だが、脳内のインターフェースにコマンドを発行する以外にコミュニケーションの手段がない。どんな座標が有効なのか、聞いても答えてはくれないのだ。

 window.state=open

 ヘスペロスは「窓」を実体化した。この状態では既に「窓」ではなく、双方の世界を繋ぐ扉となる。

 「あっ!」

 「扉」の向こうでは、ソファーに座っていたアリシアが驚きの表情を浮かべている。突然、虚空が切り取られて別の世界が現れたのだから無理もない。

 「いらっしゃいませ……」

 アリシアはその均整の取れた美しい裸身を手で隠しながら立ち上がった。滑らかな曲線を描く肩から、月光色の髪が流れるように滑り落ちる。その顔は恥じらいのためか少し上気しているが、もう驚きの表情は笑顔に変わっている。

 「ご……主人様……」

 アリシアは恥ずかしそうにそう言うと両手を後ろに回して、オダリスクが主人を迎える姿勢をとった。豊かな胸が強調され、柔らかな乳房が誘うように揺れている。
 アリシアの本当の主人はこの国の王なのだが、肝心の王には会ったことがないらしい。王は多忙な上に、オダリスクは100人以上もいるので、順番が回って来ないのだろう。アリシアがご主人様と呼び掛けてきたのは、いつ会えるか分からない王ではなく、ヘスペロスのものになりたいからだ。

 ヘスペロスがアリシアの部屋を訪れたのは初めてではない。
 偶然「窓」に映ったアリシアの美しさに魅了されて、どうしても話してみたくなり、つい「扉」を開いて姿を見せてしまったのだ。
 最初は驚いた様子ではあったが、この世界の人々は神や精霊といった、超自然的な現象を信じているようで、別の世界から来たと言う説明をすぐに受け入れてくれた。何度か訪れるうちにお互いの世界の事を話し合うようにもなった。

 「それで……私のような人間達はどうなったのですか?」

 以前、ヘスペロスが人類から進化した種族である事を打ち明けた時、アリシアは興味深そうに聞いて来た。

 「生き残ってはいるが、随分と少なくなってしまった。ずっと昔、人間達の間で世界中の国々を巻き込んだ戦争があってね……」

 ヘスペロスはアリシアの気分を損ねていないか、表情を伺いながら話した。異世界の話とは言え、自分達の種族の愚行を聞かされるのは、楽しくはないだろう。

 「そのせいで大地は荒れ果て、人口は激減し、そのまま衰退していった。終戦後、復興の努力で実を結んだのがAAIとAHの研究だけだったらしい。皮肉なもので、AAIとAHは勢力を拡大して、文明を取り戻した」
 「元の人間達とは手を取り合わなかったのですね」

 アリシアは特に感情を交えずに言った。アリシアにとっては、まるで現実感の無い話だからかもしれない。

 「そういう訳ではなく、機械の管理者であるAAIは旧人類と……何と言うか……相性が悪くてね」
 「嫌われたのですか?」
 「いや、AAIに感情があるようには思えない。ただ直接AAIと繋がる能力を持たないので、AAIの保護を受けられなかったんだよ」
 「機械の管理者……機械の神様ですね」
 「そうだね。まさにそんな感じだ。私達AHを育み、守り、管理しているが、旧人類は対象ではない。だからAAIではなく我々が保護している」
 「保護ですか」
 「そう、一部は保護施設でね。ただ若い女性の場合、メイドまたは愛人として一緒に暮らす場合もある」

 復興した「都市」で生活するために必要なサービスは、すべてAAIが提供している。AAIへのアクセス手段がない旧人類は、「都市」では自立して暮らすことができない。ボランティアが運営している保護施設もあるが、大抵は不自由な暮らしを嫌って「都市」を出ていってしまう。ただ、若い女性は例外で、住み込みでAHの身の回りの世話を希望する者が多い。そうすれば主人の保護の元、都市で暮らすことが出来るからだ。

 「愛人というのはオダリスクのことでしょうか?」
 「まあそうだな。ほとんど同じようなものだろう」
 「まあ……それではヘスペロス様にもいらっしゃるのですか……その……メイドとかオダリスクが……」

 アリシアは何故か少し恥ずかしそうに、その美貌を上気させた。

 「いや、私はまだ……」
 「ご不要なのでしょうか?」
 「そんな事もないが、単に機会が無くてね」
 「そ、それなら、私、ヘスペロス様のオダリスクになりたいです。ここで待っているのはもう嫌なんです!」

 アリシアは迷いを断ち切るように少し声を大きくして言った。表情は真剣で、ふざけているようには見えなかった。

 「それは……」

 ヘスペロスはその提案にとても驚いたので、すぐに答えることが出来なかった。
 結局次に来た時に返事をすると約束して帰ったのだが、アリシアを引き取るかどうか迷ってしまい、つい再訪を先延ばしにしていた。
 そして、ようやく結論を出して、ここでアリシアの前に立っているという訳だ。
 
 「またお会いできて嬉しいです。我儘を言ったので、もう、いらして下さらないのかと……」

 アリシアはそう言うと切なそうな表情を浮かべた。宝石のような碧眼が潤んで揺らめいている。

 「待たせてすまない」

 ヘスペロスにとっては気紛れな訪問に過ぎないが、アリシアにとっては後宮から解放のチャンスだ。きっと待ちわびていたのだろう。

 「王とはまだ会えないのか?」
 「はい……最近はご多忙なのか、後宮にもいらっしゃいません」

 オダリスクは、基本的に王の相手をする以外の仕事は禁じられているらしく、性技の練習をするくらいしかやる事がない。つまり暇を持て余してしているのだ。過酷な労働に従事している者からすると贅沢な話だが、やはりアリシアには不満なようだ。

 「お前を引き取ることにした。引き取ると言っても、実質攫っていくことになるが……」

 アリシアの碧い瞳が光ったように見えたが、はっきりとは分からない。ただその表情はとても輝いて見えた。

 「ありがとうございます!嬉しいです。精一杯ご奉仕致しますので、どうか末永く可愛がってくださいませ」

 アリシアは優雅に一礼するとヘスペロスにの手を取って顔を見上げた。そう躾けられているのか、じっとこちらを見つめている。従順に彼の言葉を待つつもりのようだ。

 「突然消えても大丈夫か?私はこの世界の決まりを知らないが、ここには望んで来た訳ではないだろう。事情があるなら力を貸そう」
 「ご主人様、お優しい心遣い感謝いたします。確かに、後宮には故郷から貢物として送られて来た娘もございます。ですが……」

 アリシアの言葉が途切れ、何かを思い出すように虚空を見つめた。後宮に連れて来られて時の事を思い出しているのだろうか。

 「私は捕虜みたいなもの。機会があれば逃げて当然です。誰にも迷惑は掛からないと思います」

 色々と複雑な事情がありそうだが、ヘスペロスがとやかく言うことではない。

 「分かった。では準備をしておいてくれ。問題なければ明日の夜にでも出発しよう。暇を告げる相手はいるのだろう?」

 しかしアリシアは微かに首を振ると、いたずらっぽく微笑んだ。

 「準備は特にありません。私は何も持っていないんですよ。服さえも……」

 そう言うと裸身を改めて見せるように腕を開いた。いつも裸なので違和感がなかったが、下着さえも身に着けているのを見たことがない。捕虜のようなものと言っていたから、私物もほとんど無いのだろう。

 「それに誰にも知らせない方がいいように思います。事情を聞かれた時、知らなければ嘘をつかずにすみます」
 「それもそうか……」
 「せっかく気遣って頂いたのに、申し訳ありません」

 アリシアは済まなそうに頭を下げた。

 「いいんだよ。もう行こうか?」
 「はい!この日を待ちわびておりました。どうか連れて行って下さいませ」

 ヘスペロスは頷くとアリシアと手を繋いだ。「扉」の向こうにはヘスペロスの研究室が見えている。二人は寄り添うようにして同時に「扉」を潜り抜けた。

 window.exit()

 ヘスペロスはコマンドを発行して「扉」を消滅させた。アリシアは「扉」のあった場所を不思議そうに見つめた。それから様々な道具で溢れる部屋を控えめに見回している。

 「ようこそ!今日からここがアリシアの家だ」

 アリシアは我に返ったかのように、ヘスペロスの方に顔を向けた。

 「はい、ご主人様。よろしくお願いします」

 アリシアは再び優雅に一礼して、それから嬉しそうに微笑んだ。


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