4.遺跡

 ヘスペロスはアリシアを連れて近所の公園に来ていた。
 庭園風に整えられた美しい公園で、過去の戦争で荒廃したこの世界では、自然が残る貴重な場所だ。ヘスペロス達の「都市」の中では、最も人気のある場所の一つだろう。

 「私の住んでいた場所の、近くの林にちょっと似ています」

 しかしアリシアは、特に感銘を受けた様子もなく、淡々と感想を述べた。自然が色濃く残る世界から来たアリシアにとって、あまり興味を惹かれる場所ではないのだろう。所詮は作り物の自然だ。

 「確かにアリシアには見慣れた風景だろうね」
 「まあそうですね。でも、こうやってご主人様とお散歩が出来て嬉しいです」

 アリシアはヘスペロスを見上げると、繋いでいた手をぎゅっと握った。ヘスペロスが返事の代わりに軽く握り返すと、アリシアは嬉しそうに微笑んだ。それはオダリスクとして訓練された礼儀作法なのかもしれないが、笑顔を向けられるのは悪い気分ではない。
 二人はゆっくりと公園の中を歩いた。
 ヘスペロスは次に案内する場所を考えながら、アリシアととりとめのない会話を楽しんだ。

 「やはり歩いては来られないのですね。ご主人様と同じ、神々の力を……」

 アリシアの声が少し弾んでいる。視線の先を見ると、虚空に「扉」が開いており、手を繋いだ若い男女が、談笑しながら出て来るのが見えた。
 この世界とアリシアの世界は、次元的には隣り合う平行世界だが、文化や科学技術の発達には、少しずれが生じている。空間を制御する技術を手にするのは、まだ先の話だろう。

 「男はAHだが、女の子は人間、つまり私達と同じだ」

 男には個人情報がAR=拡張現実で表示されているが、女にはそれがない。つまり男はAHで、女は人間だ。

 「まあ……良かった!私達だけではないのですね」
 「AHと人間のカップルは珍しくない。互いに得るものがあるからね」
 「そうなのですか?ちょっと意外です」

 アリシアは少し驚いた様子で、「扉」から出てきた二人を目で追っている。

 「王とオダリスクの関係と同じだよ。王は保護を、オダリスクは癒しを与えるのではないか?」
 「癒しというより……でも単純に言えばそうですね」

 そう言うと、アリシアの透き通るような白い肌が、微かに赤く染まった。勿論、何を思ったのか、ヘスペロスにも想像はつく。

 「一方、AHは働かなくても、AAIのサポートがあって自立できるから、男女の関係は割と希薄なんだ。精神的な繋がりだけだからね」
 「でも子供は育てないのですか?」
 「それはAAIの許可が必要だが、これ以上人口を増やせないのか、あまり許可されない」
 「そ、そうですか……それもびっくりしました」

 アリシアは複雑そうな表情をしているが、お互いの時代が違い過ぎて、すぐに理解するのは難しそうだ。

 「次は「都市」の外の遺跡に行ってみようか。ちょうど新しく見つけた場所があってね」
 「はい、ご主人様。仰せのままに」

 アリシアは、再び、その柔らかな手に力を込めた。手の平に伝わる優しい温もりが心地良い。

 window = WorldGate(location=saved_location, shape=(2,1), state=open)

 ヘスペロスがコマンドを思い浮かべると、僅かな待ち時間の後、AAIが空間を貫く「扉」を作成した。
 二人で「扉」を通り抜けると、ふいに青空が視界に映った。そこは高台のような場所で、整地された土地の中心に、今は廃墟となったいくつかの建物が残っている。

 「見てごらん。この世界の姿が見える」

 アリシアの手を引いて高台の端の方まで歩いていくと、眼下には遥か彼方まで荒野が続いているのが見えた。まるで月面のように、所々にクレータの跡が見える。核兵器が使われた場所もあるが、幸い、この辺りのクレーターは通常兵器によって穿たれたものだ。

 「これは……随分寂しい場所ですね」
 
 アリシアは眼下の荒野をじっと見つめている。

 「昔の戦争の名残だ。このあたりは、かつては大草原が広がっていたそうだ」
 「……私も戦争を知っていますが、これ程の破壊は見たことがありません。まるで神の怒りに触れたかのようです。世界中がこんな様子なのですか?」
 「全部ではないが、大部分がそうだ。草原も森林も随分と減ってしまった」
 「昔、大きな戦争があったとお聞きしましたが、これは想像していませんでした」
 
 アリシアの声は少し震えているようだ。まともな銃さえない世界から来たのだから無理もない。

 「遺跡や廃墟の大半は荒野の中にあるから、これからは嫌でも目にする事になるが……」
 「大丈夫です。後宮も最初は不思議な所だと思いましたが、すぐに慣れてしましました。ここも慣れると思います」
 「まあ、確かに後宮は不思議な場所だな」

 後宮では、王の寵姫であるオダリスクは、みな裸で過ごしている。アリシアから聞いた話では、側室は主に王妃の補佐と対外的な役割を担当し、オダリスクは性的な奉仕を担当するそうだ。役割を積極的に果たせるように、そういった不思議な習慣が形作られたのだろうか……

 「それでは次は遺跡の中に入ってみよう」
 「はい、ご主人様」

 事前調査よれば、この建物はコンピュータ関連技術の研究施設だったらしい。軍事的に役に立つ研究は行われていなかったようで、大戦中に閉鎖されている。そのおかげで被災を免れたのかもしれない。5階建ての中規模なビルで、外壁に劣化は見られるが、ひび割れ等は無い。鍵の掛かったエントランスは、今も侵入者を拒んでいる。
 ヘスペロスは建物の2階へ繋がる「扉」を開いた。やはり事前調査によれば、この階にヘスペロスの目当ての物があるはずだ。

 「中に光が入るように、扉は開いたままにしておこう」

 アリシアに説明しながら、ヘスペロスを先頭にして、慎重に扉を通り抜ける。

 「この棚はなんでしょう」

 アリシアが不思議そうに呟いた。部屋には背の高さ程の金属製の棚が沢山並んでおり、各棚には同じ形の銀色の箱が整然と積まれている。

 「この銀色の箱は旧式のコンピュータ、この世界を管理するAAIの先祖だ」
 「機械神の御先祖様ですか?それは凄いですが……なんだか沢山ありますね?」

 アリシアはAAIを機械の神だと思っているが、素朴な自然信仰の神以上の権能を持っているのは確かだ。旧式のコンピュータと異なり高度な知能を持ち、すべての「都市」とAHを存続させ、世界中に配置された基地局により次元の扉を制御している。

 「このコンンピュータ達は協調して作業をしていたらしい。だから沢山あるんだ」

 ヘスペロスは近くの棚に近づくと、銀色の箱の背面に接続されているケーブルを取り外した。束縛の無くなった銀色の箱を棚から引き出すと床に降ろす。

 「これは今まで見た中で最も高性能のコンピュータだ。何かの研究に使っていたのだろう。持ち帰って調べてみるとしよう」
 「あの、ご主人様」

 アリシアはヘスペロスに寄り添うように近づくと顔を見上げた。言葉を続ける許可を待っているらしい。澄んだ碧眼で見つめられて少し胸が高鳴る。

 「何か意見があるんだね。話してごらん」

 アリシアは時折こんな素振りを見せる。王に仕えるオダリスクとして、慎ましく振舞うように躾けられているのだろう。もっと自由に振舞っていいと思うのだが、無理に自分の価値観を押し付ける気は無かった。

 「ありがとうございます。あちらに資料がございます。調査の役に立つのではないでしょうか」

 アリシアはそう言うと、ほっそりした腕を上げて壁際の資料棚の方に向けた。

 「ああ、本当だ!ありがとう。助かるよ」

 労わるように髪を優しく撫でると、いつものように優しい微笑みが返ってくる。 
 ヘスペロスは資料棚に向かうと、研究に関係ありそうな資料を抜き出し始めた。
 


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