遺跡で入手した資料の冒頭に記載されていたのは「システム環境」。
当然ではあるが、遺跡で入手したコンピュータ上では、既に構築済みであった。
後はソースコードを入手して実行するだけだが、それらしきファイルを見つける事が出来なかった。この研究資料を基に実装してみるしかなさそうだが、それには時間がかかる。今日はアリシアがやって来た日なので、歓迎を優先すべきだろう。
「それでは、次は家を案内する」
「家……後宮ですね?」
「まあ、確かにこっちの建物にも寝室や浴室があるから、王宮と後宮みたいに運用してもいい。その方がアリシアにとって自然なら……」
「都市」ではAAIに申請すると家が貰えるので、トレジャーハンターのような自由業のAHは、仕事用と生活用に2軒使っている事が多い。だが基本的にはみな同じ構造の建物で、住居用として設計されている。ヘスペロスの場合、汎用の部屋を研究室として使っている。
「家……いや後宮はアリシアの自由に使っていい」
「ありがとうございます。ご主人様」
アリシアはオダリスクとして、王の代わりにヘスペロスに仕えるつもりらしい。そう考えると、一日中、常に一緒というのでは気が休まらないだろう。時が経ってもっと親密になるまでは、プライベートな時間と場所は確保してあげた方がよさそうだ。
「でも、私はシルフレシア王とは違って、毎日訪れるつもりだが、構わないかな?」
「はいっ!勿論です。寂しがり屋なので、そうしていただけると嬉しいです」
「それは良かった。では行こうか」
アリシアの事を考慮して、「扉」使わずに歩いて右隣の建物に移動した。隣とは言え別の建物なので、一旦外に出なければならない。
「さあ、どうぞ!」
玄関を開けると、意外なほど長い廊下が目に入る。王の後宮とは比べ物にならないが、それでも小さな貴族の屋敷くらいの大きさはあるだろう。廊下の左右に各部屋が配置された標準的な構造の家で、居間や食堂のような用途が決まった部屋の他に、汎用的に使える部屋が8部屋ある。一人で暮らすには広過ぎるのだが、AAIが提供しているのはこのタイプだけけなので仕方がない。結婚して子供を持った場合、各自の寝室と書斎、および応接室と来客用の部屋として使う事が想定されているようだ。
ヘスペロスはアリシアを先導して廊下の中頃まで歩くと、左手にあるガラスがはめ込まれたドアを開けた。
「この部屋が居間で、奥は食堂へと続いている。そのさらに奥が厨房だ。お姫様は料理はするかな?」
「あの……もう姫ではありませんが……とにかく申し訳ありません。これから勉強いたします」
アリシアは済まなそうに頭を下げた。やっぱり領主の娘とか王女だったのかもしれない。興味があるが、自分から話してくれるまで待つことにしよう。
「ああ、料理はAAIに依頼すれば、ドローン……空飛ぶ小さな機械が配達してくれる。だから料理が出来なくても大丈夫だ」
「そ、そうですか……でも、ちょっと興味あります」
「それなら今度一緒に作ってみよう」
レシピはAAIに問い合わせれば答えてくれるので、簡単な料理であればヘスペロスにも作れる。
「それから向かいは浴室だが、残念ながら個人用だ。王の後宮にあるような大浴場は「都市」にはないだろうね」
「あの……もしかして、ご覧になったのでしょうか?」
アリシアは少し咎めるような口調で言った。
それでヘスペロスは自分の失言に気が付いた。後宮には王以外の男は入れない。つまり大浴場は女湯なのだ。
「いや、間違えて「窓」を開いただけだ。覗いてはいない!」
「本当ですか?いくらオダリスクでも入浴の姿は見られたくないと思います」
そう言うとアリシアは、それは冗談だと言うようにいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ですが、私は問題ありません。これからは入浴時もご奉仕させていただきます。私で良ければ、お好きなだけご覧になってください」
アリシアは頭を浴室を入れるようにして覗き込んだ。
「二人なら十分な大きさだと思います」
「そうだな。だが「都市」の外には温泉もある。今度連れて行ってあげよう」
「温泉!ぜひお願いします。城のメイド達から聞いた事がありますが、行った事はないんです」
ヘスペロスは頷くとアリシアを促して案内を再開した。もっとも残りは空き部屋なので、自分の部屋を選んで貰うだけだ。
「見晴らしがいいのは、この部屋かな。ここにするかね?」
「はい、ご主人様。ご配慮ありがとうございます」
一番奥の公園の見える部屋は日当たりも良く、後宮のアリシアの部屋と大きさも変わらない。ただ、内装も備え付けの家具も規格品という感じは否めない。後宮の部屋には、大理石の壁や美しい装飾の施された家具が置かれていて、王が訪れるのに相応しい高級感があった。
「家具が簡素で気になるなら、アリシアの世界から調達してこよう。残念ながら、この世界では高級家具は手に入らない。職人もいないし、木も貴重だ。自然が少なくなっているからね」
アリシアは答える代わりにゆっくりと壁際のチェストに近づくと、側面を撫でるように触れた。
「冷たい……これは金属ですね」
少し驚いた様子を見せると、今度は引き出しを引いた。力が余ったのか勢いよく引き出される。
「こんなに簡単に開けられるなんて不思議です。見た目はシンプルでも素晴らしい作りだと思います。それに全部金属で出来ているなんて、見たことがありません」
「ああ、それはレールが組み込まれていて……まあいいか。必要なものは遠慮なく言うんだよ」
「ありがとうございます。少し考えてみます」
「分かった。それではしばらく寛ぐといい。私は食事の手配をしてくるので、後で食堂に来てくれ」
「かしこまりました。あの、早速で申し訳ありませんが、お願いがございます」
アリシアはそう言うと発言の許可を待つようにヘスペロスをじっと見つめた。
「いいよ。話してみて」
「ありがとうございます。お食事なのですが、ご主人様のお傍に座らせて頂けないでしょうか」
「傍?隣という事かな。分かった。そう配膳しよう」
「ありがとうございます」
本当のところ、今一つ良く分からないが、そうしたいのなら拒む理由もない。
「それでは、いってらっしゃいませ」
アリシアは大事な客を見送るように、礼儀正しくドアを開けて送り出してくれた。
ヘスペロスは部屋を後にすると、廊下を歩きながら、食事の配送用のコマンドを思い浮かべ、AAIに送信する。
(無難にパン、スープ、ステーキだな。それとワインも……)
AAIの料理は工場で作られた料理だから、可もなく不可もなくといった味だ。宮廷料理長の手の込んだ料理に慣れたアリシアには味気ないかもしれない。
(まあ、慣れて貰うしかないな)
ヘスペロスは食堂に入ると、配送ドローンを確認するように窓の外を眺めた。