7.甘美な食事


 事前に聞いていた事ではあるが、やはり驚いた。
 夕食の準備が出来たので、アリシアの部屋のドアをノックした。ドアが開いて現れたのは、美しい裸の女だった。
 柔らかな光を帯びた月光色の髪と、宝石のように澄んだ碧い瞳。均整の取れたし肢体、優美な曲線を描く豊かな胸。

 「お待たせしました、ご主人様」

 アリシアは艶っぽく顔を上気させ、後ろ手で胸を強調するような姿勢でヘスペロスを見上げた。王を迎える時の、オダリスクの艶めかしい姿態。
 後宮に訪れた時は、いつもそうやって迎えてくれていたが、今日は妙に恥ずかしそうだ。

 「綺麗だよアリシア」
 「ありがとうございます。ここはかなり明るいので、ちょっと恥ずかしいです」
 「せめてガウンでも羽織るか?」 
 「いいえ、それはいけません。ここは後宮で、私はオダリスクですから……」
 
 王に仕える寵姫達の中で、裸で主人を歓待するのは、主に性的な奉仕を担当するオダリスクの慣習だが、この世界に来ても変える気はなさそうだ。ヘスペロスはただの市民に過ぎないのだが、AAIの特別な力を扱えるAHを、特別な存在だと見なしているのかもしれない。

 「食堂の灯りはもう少し柔らかな光だ」

 王の後宮は全体的に薄暗いのだが、この家は普通の住宅なのでかなり明るい。ただ、食堂と居間は電球色のELが使われているので、少し落ち着いた感じだ。

 「さあ行こうか……」

 ヘスペロスはアリシアの手を取るとゆっくりと歩き出した。
 居間のドアを開けると、部屋は茜色に染まっていた。庭へ続く大きな窓の外には夕闇が迫っている。アリシアの裸身は夕焼けに染まり、どこか幻想的な美しさを感じさせた。

 「どうかなさいましたか?」
 「いや、なんでもない。食堂はこっちだ」

 気が付くと呆けたようにアリシアを見つめていたようだ。ヘスペロスは誤魔化すように食堂へと引っ張っていった。食堂のテーブルには既に料理が並べてある。

 「このお料理を空飛ぶ機械が運んできてくれたのですか?」
 「そう、通称ドローン、小型の無人機だ。別の場所で作って運んでくる」
 「伝書鳩のような感じでしょうか。私にも見られますか?」
 「今度は一緒に見てみよう。といっても、これから嫌でも目に入るがね。それよりこれでいいかな?」

 アリシアの要望により、隣り合うように席を用意しておいた。

 「はい!ありがとうございます。隣でお世話させて頂きますので、どうぞお座り下さい」

 促されて先に席に着くと、アリシアは椅子をずらして寄り添うように隣に座った。

 「何かお食事に関する習慣はございますか?」
 「いや、あまりないな」
 「そうですか、では失礼して……」

 アリシアは祈るように両手を胸元で組んだ。ヘスペロスもそれに倣って手を組むと、アリシアは嬉しそうに笑った。

 「ありがとうございます。よい食事を!」

 アリシアは最初にグラスに注がれたワインの香りを確かめると、一口飲んだ。

 「ワインですね。美味しいです」

 それから再び口に含むと、今度は少し立ち上がるようにして、ヘスペロスに覆いかぶさって来た。唇が合わさり、赤ワインの芳醇な香りが口内に広がる。

 「キスは初めてですから、ご安心ください。練習は人形を使うんですよ」

 アリシアは囁くように言うと、少し恥ずかしそうに微笑んだ。赤く濡れた口元が艶めかしい。

 「次はスープをどうぞ」
 「あ、ああ……」

 呆けたようにアリシアを見つめていると、再び唇が重ねられた。

 「んっ……」

 アリシアは艶っぽく喉を鳴らすと、今度はワインよりも濃厚な液体を注ぎ込んできた。控えめに舌を差し入れて、唇に付いた分も上手に飲ませてくれる。

 「次はパンにしましょう。少々お待ちください」

 アリシアはパンを手で千切って、そのまま自分の口に入れると口元を手で覆った。どうやら噛んでいるようだ。ヘスペロスは妙にドキドキするのを感じた。咀嚼したものを口移しするというのは想像していなかった。
 しかしアリシアは、口に入れたパンをそのまま食べてしまった。

 「大丈夫ですね。毒見するように教わったのですが……ここでは不要な気がしてきました。暗殺とかされないですよね?」

 アリシアは新しく千切ったパンの欠片を、ヘスペロスの口元に運んだ。どうやら口移しは液体だけらしい。

 「どうかなさいましたか?」

 多分ヘスペロスは複雑な表情をしていたのだろう。アリシアが心配そうに顔を覗き込んできた。

 「い、いや……なんでもない。パンはまあ、普通の味だよな?」
 「そうですか?後宮で出されるものは固かったので、ご主人様が用意してくださったパンの方が美味しく感じられます」
 「それなら良かった」
 「はい!では、今度はお肉にしましょう」

 アリシアはプレートで肉を切ると、フォークで口元に運んで食べさせてくれた。口移しではないが、口元が汚れると舐めて清めてくれる。世話の合間に自分でも食べているので、一緒に食事をしていると言えなくもないが、少し忙しそうだ。

 「世話されてばかりで悪い気がする」
 「大丈夫です。これはオダリスクの務めですから。あ、お水は私が……」

 ヘスペロスが半ば無意識に水を飲もうとグラスに手を伸ばすと、アリシアはやんわりと手を掴んで押しとどめた。代わりに自分でグラスを取って水を口に含み、柔らかな裸の身体を押し付けるようにして唇を重ねてきた。

 「んんっ……」

 艶めかしく喉を鳴らしながら、吐息と共に口移しの水を注ぎ込んできた。ひんやりとした水が喉を潤すが、それはすぐに終わってしまった。しかしアリシアはすぐには離れず、しばらくの間、唇を重ねたままでいた。

 「キスが好きなんだね?」
 「そうみたいです。変な事してごめんなさい」
 「大丈夫、好きなようにしていいんだよ」
 「本当ですか?それなら……」

 アリシアは再び顔を寄せると唇を重ね、今度は控えめに舌を差し入れてきた。ヘスペロスが舌を絡めると、戸惑いながらも従順に応えてくれる。
 しかし甘美な時間はすぐに終わってしまった。アリシアは時間を気にするように優しく身体を離した。名残惜しそうな表情を浮かべているので、嫌だった訳ではないようだ。

 「……お食事の途中でした。すみません」

 恥じらいのためか、アリシアの裸身が微かに赤く染まっている。王の後宮は薄暗いのであまり気づかなかったが、白く透明感のある肌は感情を映し出してしまう。

 「次はサラダをどうぞ……」

 アリシアが再び給仕を再開した。ぴったりと寄り添いながら、甲斐甲斐しく世話されると甘く切ない気持ちになったが、それが何の感情なのかは分からなかった。それだけではなく、アリシアの身体から漂う甘い香りに理性が溶けそうで、食事に少しも集中できなかった。アリシアはいつもいい匂いだが、それが一層濃くなった気がする。裸のせいか、キスしたせいか、あるいはその両方かもしれない。

 「どうかなさいましたか?」

 ヘスペロスの妙な様子に気がついたらしく、アリシアが給仕するのを止めて心配そうにこちらを見ている。

 「いや……お腹がいっぱいになってしまったようだ。私はもういいから、後はゆっくり食べるといい」
 「ありがとうございます。ですが、私も十分頂きました。では少しお休みして、次はお風呂に入りましょう」

 この家を案内していて浴室を見せた時、一緒に入って世話をすると言っていたのを思い出した。食事の様子からすると、きっと体を洗ってくれるのだろう。そんな事をさせるために連れて来たつもりはなかったので、何か申し訳ない気がしたが、その甘い誘惑を断れる自信もなかった。

 「居間はこちらでしたね?」

 アリシアは手を重ねると、ヘスペロスを居間へと導いた。二人で身を寄せるようにソファーに座る。ヘスペロスが肩を抱き寄せると、力を抜いて体を預けてきた。裸の身体から伝わる温もりが心地よい。

 「この世界のお話をもっと聞かせてくださいね」

 アリシアは囁くように言うと、ヘスペロスを見上げて優しく微笑んだ。


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