8.風呂


 二人で入浴する事になり、浴室の脱衣所に入った。
 いつも通りに自分で服を脱ごうとすると、アリシアにやんわりと押し止められた。寄り添うように密着して服を脱がせてくれる。

 「全部任せてくださいね」

 食事に引き続き、入浴も世話をしてくれるようだ。申し訳ない気もしたが、甲斐甲斐しく世話をされて悪い気はしない。愛されている訳ではないだろうが、オダリスクとしての役割を忠実に果たそうとしているようだ。恐らく、アリシアは王族の出身なので、幼少の頃より自己犠牲の精神を育んできたのだろう。それは本来、国や民に向けられるものだが、今はヘスペロスがその対象になっているのかもしれない。

 「お座りになって頂けますか?最初に髪を洗いましょう」
 「ああ、それなら髪専用の洗剤があって……」

 一通り洗剤やシャワーの使い方を説明したが、特に驚いている様子はない。庶民の風呂はは知らないが、贅を尽くした後宮の浴場には何でも揃っていそうだ。

 「目を閉じていて下さいね」

 アリシアの柔らかな指と手のひらが、頭皮揉みほぐすように洗い始めた。他人に洗って貰うのは初めての経験だが、なかなか心地良い。自分で洗うとどうしても雑になってしまうが、アリシアの洗い方は優しく丁寧だ。

 「よく泡立ちますね。それにいい香り。以前使っていた……ふふっ、余計な事ですね。では流します」

 シャワーを使って洗い流すと、用意してあったタオルで軽く拭いてくれた。

 「はい、できました。次は私の身体で……」

 アリシアはヘスペロスの前で膝立ちになると、石鹸を泡立てて自分の身体に延ばした。それから抱き着くように肌を合わせると、ゆっくりと滑らせ始めた。

 「この洗い方は、オダリスク以外はあまりしないそうですが、こちらの世界ではどうでしょうか?お気に召して頂けるといいのですが……」
 「どうだろう。私は女性と付き合った事が無いので良く分からないが、とても気持ちがいい」
 「本当ですか!良かった……」

 アリシアの豊かな胸がヘスペロスの肌に押し当てられ、滑るように動いている。お互いに濡れているので温もりは伝わってこないが、身体を動かす度に漏れる吐息が温かい。時折こちらを見て、恥ずかしそうに微笑んでいる。
 胸から腹へ、そして背後に回って背中を洗うと、ゆっくりと身体を離した。

 「残りは普通に洗わせて下さい。身体を使って全身を洗う方法があるみたいんなんですが、残念ながら、教わる前にこちらに来てしまいました」
 「これで十分だよ。ありがとう」
 「すみません……では失礼します」

 アリシアは手を取ると、指を一本ずつ洗い始めた。指の付け根も揉むように洗い、最後に手のひらを指圧する。手には神経が集中しているので、アリシアの柔らかな指先の感触を感じられた。

 「腕は身体を洗う布を使いますね。その方が汚れが落ちますから……」

 少し残念な気がしたが、勿論それを口にしたりはしなかった。王ではなく「都市」の住民に過ぎないヘスペロスにとって、アリシアのような美女に洗って貰えるだけで感謝すべきだろう。

 「次は御御足を……」

 手と同じように、足指の一本一本を丁寧に洗っている。少しくすぐったいが、やはり気持ちがいい。あまり清潔ではないところを洗わせている事に、何故か満足感があった。その昔、旧人間達の娼館では、高級な姫ほど客の身体を清めずに奉仕したと言う。それを聞いた時は良く意味か分からなかったが、今は何となく理解できる。アリシアのような本来は手の届かない女が献身的に振舞ってくれているのを見て、相手に好かれていると言う幻想を信じる事ができるからだろう。

 「最後に殿方のそれと……後ろも……」

 アリシアは恥ずかしそうにしているが、それでもしっかりと洗ってくれた。そのまま浴槽の湯につかるように促され、今度は自分の身体を洗い始めた。お返しに洗ってあげたいと思ったが、それも迷惑かもしれないと思い、口には出さなかった。

 「失礼します」

 やがて洗い終わったアリシアが湯船に入って来た。迎え合わせに座って気持ちよさそうにしている。月光色の髪が湯の中で揺蕩う。

 「右の脚を延ばして頂けますか?」
 「延ばす……こう?」
 「はい、ありがとうございます」

 アリシアは足を包み込むようにして持つと、自分の方へと引き寄せた。それから足の裏を柔らかく揉み始めた。

 「気持ちいいですか?」
 「勿論だが、休んでくれていいんだよ」

 アリシアは優しく微笑むと首を横に振った。

 「大丈夫です。どうかお任せください」

 そうは言ったものの、マッサージされていると、会話しなくても気持ちが伝わってくるようで、比較的寡黙なヘスペロスにとっては快適だった。

 「悪いね。だが無理はしないでくれ」
 「はい、ご主人様」

 国王の女達には役割が決まっている。大雑把に分類すると、正妻であり政治的な役割を担う王妃を筆頭に、王妃を補佐する側室、主に王の夜の相手をするオダリスクがあり、いずれも王国法の定められた正式な身分だ。王に対して、王妃は陛下と呼び、側室は旦那様、オダリスクはご主人様と呼ぶのが慣例らしい。AHの雇う人間のメイドも同じ呼び方をするので、対外的には不自然ではないが、いつかは名前で呼んで欲しいとは思っている。

 「痛いですか?」

 ふいに高く美しい声が耳に響いた。いつの間にか物思いに耽っていたらしい。アリシアが少し心配そうに見つめていた。碧く澄んだ瞳は湯気で揺らめき、ヘスペロスを映している。

 「いや、大丈夫。少し考え事を……」
 「そうでしたか。申し訳ありません」
 「いいんだ。だが少しのぼせてきたようだ」
 「かしこまりました。すぐにご用意いたしますので、少々お待ちください」
 「ああ、それなんだが……説明が難しい。一緒においで」

 ヘスペロスはアリシアの手を取ると、洗い場の真ん中に連れて行った。

 「これから強い風が吹くから驚かないように」
 「風?は、はい……」

 落ち着かせるようにアリシアの肩を抱き寄せると、脳内のインターフェースを通じてAAIにコマンドを発行した。

 hdl = ObjectControl(location=current_cordinate, state=user, mode=dry)
 hdl.start()

 ファンが吹き上がるような音と共に、上下左右から呼吸を忘れる程の風が叩きつけられた。風はしばらくの間吹き続け、髪と身体の水分を吹き飛ばした。

 「終わった。慣れないと驚くかもしれないが……大丈夫か?」

 アリシアは、目を閉じてヘスペロスの腕にギュッとしがみ付いている。髪を優しく撫でると恐る恐るといった様子で目を開いた。

 「妖精のいたずらでしょうか?急に強い風が吹いてきましたが……」
 「これはコアンダ効果といって、唇をすぼめて息を吹きかけると冷たくなる現象を応用したものだ。周囲の風を引き寄せて……まあ、とにかく、この世界ではタオルの代わりに風を使って身体を乾かす。大きなタオルは生産されていないのでね」
 「なるほど、確かに乾きました。これも神々の力、機械の神の御業なんですね」
 「まあ、確かにAAIに依頼したが……」

 アリシアの世界の科学技術はまだ夜明け前、理解不能の現象は超自然的なものとして解釈する方が自然なのだろう。

 「では申し訳ありませんが、部屋着をお召しになって、私の部屋にいらしてください。お待ちしております」

 アリシアは優雅に頭を下げると、やや急いで浴室を出て行ってしまった。一緒に部屋に行くのではなく、部屋で迎える習慣があるのかもしれない。特に今日は初めての夜だ。彼の正式なオダリスクになるには、誓いの儀式が必要だと言っていたが、それと関係があるのだろうか。
 ヘスペロスは新しい部屋着を身に着けると、しばらくの間、鏡を見つめていた。息を整えるように何度か深呼吸をする。やはり少し緊張しているようだ。頃合いを見て脱衣所を出ると、アリシアの待つ部屋へゆっくりと歩いていった。

 


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