10.朝食

 誓いの儀式は無事に終わり、アリシアはヘスペロスの正式なオダリスクになった。こちらの世界には存在しない概念だが、一番近いのは妻だろう。どちらにしても、異なる種族の二人の間には、法も制度も関係はない。心の繋がりがすべてなのだ。

 「ご主人様、おはようございます」

 朝食の時間になるとアリシアが食堂に入って来た。後宮、つまりアリシアが暮らす住居内では裸で過ごす彼女も、今は普通に服を着ている。平日の朝食は、仕事場の方でとる事になったためだが、今のアリシアはオダリスクと言うより仕事のパートナーに見える。

 「もう用意できているから、そこに座ってくれ」

 アリシアは何か訴えるような眼差しでヘスペロスを見たが、結局何も言わずに向かいの席に座った。夕食は隣に座って食べさせてくれるので、もしかしたら朝食の世話もするつもりだったのかもしれない。

 「食事に感謝します!」

 アリシアは、いつものように両手を胸元で組んで、軽く俯いた。食事の時のお祈りだろう。ヘスペロスはアリシアに倣って、同じように両手を組んで祈った。祈るべき神はいないので、いつも献身的なアリシアに感謝しただけだが。

 「ありがとうございます」

 食事の祈りをするヘスペロスの姿を見て、アリシアが嬉しそうに微笑む。

 「今日も遺跡に行くのですか?」
 「いや、今日は遺跡で見つけた旧式のコンピュータを調べるつもりだ」
 「そうですか。まだ何も出来ませんが、頑張って勉強して行きたいと思います」
 「ありがとう。まあ楽しくやろう」
 「はいっ!」

 アリシアにやる気があるようなのは、ヘスペロスとしても嬉しい。ただ、夜は必要以上に奉仕して貰っているので、昼の仕事が身体の負担にならないように配慮すべきだろう。オダリスクとしての務めは格式のある伝統的なものなので、ヘスペロスが口を挟むのは難しい。

 「でも旧式と言うのは不思議です。私にとっては見たことも無い凄い機械ですが……」
 「確かにそうだな。この世界を支配するAAIの先祖だが、それでも高度な処理能力を備えている」
 「あの……処理能力とは何でしょうか?」
 「狭義には単位時間あたりにどれだけ手順を実行できるかだ。例えばアリシアが私を見たとしよう。アリシアの頭脳は、それが私であると認識するために沢山の手順を実行する。まず瞳に映った私を含む光景の中で、私とそれ以外の境界を見つける。そうやって抜き出した私の画像から、特徴を抽出して、それらが過去に記憶した私の特徴と一致する事を確認している」

 アリシアはヘスペロスの言葉を確認するかのように、こちらをじっと見つめた。

 「難しいですね。でも私の知らない間に、私の頭が働いているのは分かりました」
 「とにかく、旧式のコンピュータでも、そういった複雑な手順を素早く実行できるという事だ。人間やAHの頭脳のように……」

 アリシアの暮らしていた世界では、まだ科学技術の夜明けは訪れていない。アリシアには基礎的なところから、ゆっくりと教えていけばいいだろう。

 「さあ、食事を続けよう。そう言えばコーヒーで良かったのかな?紅茶もあるが……」
 「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 工場で作られた得体の知れないコーヒーがおいしいとは思えないが、それは紅茶も同じだ。アリシアは王女様だから、高級品が恋しいかもしれない。アリシアの世界を訪れて調達してもいい。

 「今度、アリシアの世界に買い物に行こう。欲しい物があったら遠慮なく言ってくれ」
 「無くはないですが、本当にいいのですか?」
 「勿論だ。急に連れてきてしまったが、いつでも「扉」を使って戻れる」

 資金が必要だが、買い物程度なら、塩や香辛料を売ればいいだろう。こちらの世界ではただ同然で手に入る。

 「それでは考えておきます。ラメールという街には大きな市場があります。そこに行ってみませんか?」
 「いいね。それは楽しみだ」

 アリシアも我慢していた事があるのだろう。かなり機嫌が良さそうだ。

 その後、二人は和やかに朝食を済ませ、少しゆっくりしてから仕事場に移動した。
 アリシアには研究資料の整理を任せ、ヘスペロスはシステム環境で中断していた「ディープラーニングと物語のモデル」の研究の調査を続ける事にした。
 


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