12.売れ残りの娘

 ヘスペロスは「窓」を開いてその街を見ていた。

 活気のある中世のような街並みで、街の名前はロマナ。
 アーデラング王国の首都で、アリシアの暮らしていたシルフレシア王国の首都、ラメールから遥か南に位置している。
 ヘスペロスはアリシアと買い物に行く場所を探しているが、この街には大きな商店街がある。また、ラメールではアリシアは行方不明という扱いになっているはずだから、トラブルを避けるためにも、遠方にあるのは都合がよい。

 ただ、街に問題はなくても、ヘスペロスの側には問題があった。
 この国で流通している貨幣を入手しなければ買い物は出来ない。そこで、何か価値のある物を売ろうと考えたが、そのためには現地の服装が必要だった。名画で見るような典型的な中世風の衣装だが、こちらの世界で手に入れるのは難しい。

 ヘスペロスは仕方なく、仕事の終わった後、宛ても無くロマナの街を観察し続けた。都合がいいことに「窓」は向こうからは見えないので、何でも自由に覗き見る事ができた。茜色に染まる夕暮れ時のロマナは美しかった。だが、ガス灯もないこの街の夜は早く、人影は疎らだ。美しい街を観察しても意味はないかと思い始めた頃、ヘスペロスは妙な場所に気が付いた。
 そこは貴族の館のような比較的大きな屋敷だが、毎日夕暮れになると続々と馬車が到着する。大抵の場合、馬車は乗り合いではなく、敷地で待機している。やって来るのは上流階級の人々なのだろう。

 ヘスペロスは「窓」を屋敷の中に移動する事にした。
 
 window.location = prediction_cordinate

 ヘスペロスはほとんど意識することなく、コマンドを思い浮かべた。僅かな待ち時間の後、AAIが「窓」を屋敷の中に移動した。
 そこは壮麗な大ホールだった。装飾の施された壁、鏡のように磨かれた床。配置された壁灯は、豪華なシャンデリアに輝きを与えている。
 ホールの数か所に人の集まりがあり、その中心では薄衣を纏った半裸の娘達が、貴族風の男達の欲望むき出しの目に晒されていた。

 「この娘は旧セイレンの戦争難民で、貴族出身、処女です。価格は1000万エレルから……」

 隣の商人風の男が慣れた口調で宣言すると、近くの恰幅の良い男が即座に手を上げた。
 
 「1100」
 
 すぐに別の男から声が上がる。

 「1200」

 時折買い手の声が途切れるが、商人風の男が見回す度に、断続的に価格が競り上がっていく。

 「1300」
 「1400」

 しばらくの沈黙の後、再び最初の男が応えた。

 「1500」
 「……他にいらっしゃいませんか?では、幸運はこの方に……」

 どうみても人身売買の現場であるが、この世界の文化レベルは中世程度なので、人身取引は違法ではなく、特に珍しくはない。ただ、ここで売られているのは品が良い感じの、若く美しい娘ばかりだ。俗に言う「性奴隷」専用の市場なのだろう。陽が落ちてから買い手が集まるのも頷ける。持ち帰る時に目立つのは避けたいはずだ。

 ヘスペロスは興味を失い「窓」を閉じようとして、ふとホールの端の方にあまり人が集まっていない区画が目に留まった。
 どうやらセリは行われていないようで、若い商人と具合の悪そうな女の子が暇そうに立っている。娘の隣には立札があり、「アーデラング出身、平民(商家の娘)、処女、100万エレル(処分価格)」と書かれていた。
 買い手は一瞬立ち止まるが、女を見ると足早に立ち去ってしまう。
 ヘスペロスは理由が気になって「窓」を近づけてみた。
 目の前で娘を見て理由はすぐにわかった。鼻の調子が悪そうな上に、肌が荒れているのだ。全身に赤い斑点が広がっている。AAIのデータによればアレルギー疾患である。だが典型的な性病も同じ様な症状を示すので、買い手は危険を避けたのだろう。処女なので、性病の可能性は低いが、こういうのは理屈ではない。

 ヘスペロスの脳裏に漠然とした計画が浮かんだ。
 急いでキッチンから胡椒の缶を取ってくると、革靴を履いて、袖を通さずにコートを羽織った。買い手の中にはマントを身に着けている者もいた。多少変だが、短時間なら誤魔化せるかもしれない。

 window.state=open

 ヘスペロスはなるべく端の方に「窓」を移動して、「窓」を「扉」に変えた。次元を貫く「扉」が開き、向こうの世界とこの世界が繋がる。
 ヘスペロスはなるべく目立たないように移動すると、例の娘の前で立ち止まった。

 「旅の途中で、今は持ち合わせが無い。胡椒とこの子を交換して貰えないか」

 ヘスペロスが胡椒の缶を差し出すと、若い商人は疑わしそうな様子で蓋を開けて匂いを嗅いだ。それから驚いたように缶を振って中を覗いていたが、やがて少し待つように告げるとホールの外に出て言ってしまった。上司に相談しに行ったのだろう。工業技術が未発達なこの世界では、食品を冷蔵する方法は限られている。防腐効果のある胡椒の需要は高いはずだが、栽培は簡単ではない。ヘスペロスの世界では、貨幣の代用として使われた記録が残っている。

 「君はどうしてここに来た?」
 「あ、あの……私は実家の借金の形に連れて来られました」

 娘は明らかに怯えているようだった。変な恰好の怪しげな男が、自分を買おうとしているのだから無理もない。

 「商家の娘とあるが、まだ実家は商売を続けているのか?」
 「借金は私と引き換えに無くなったはずなので、多分……」
 「私の持っている胡椒か塩を買い取るか、委託販売して貰いたいのだが、可能だろうか?」
 「実家は乾物を扱っているので、出来るとは思いますが……」

 ヘスペロスの計画ではこの娘を買い取って現地で活動……といっても買い物だが……するための手伝いをして貰うつもりだったが、実家の商家と繋がりが出来れば、双方に好都合だ。両親は娘を取り戻せるし、ヘスペロス達は資金を得られる。もっともフリーマーケットのような場所もあるだろうから、アリシアとのんびり売るのも悪くはないが。

 程なくして若い商人が戻って来た。手に胡椒の缶と書類のようなものを持っている。

 「缶ごとなら構わないそうです。お買いになりますか?」
 「ありがとう。そうするよ」
 「そうですか!お買い上げ、ありがとうございます」

 若い商人はかなり嬉しそうにしている。恐らく胡椒の価値はこの娘の売値よりずっと高いのだろう。
 
 「こちらが保護民登録証です。王国の役所に登記済みですので、各種証明書を発行や、売却の際にはこの書類をご提示ください」

 ざっと書類を読んだ限りでは、保護民と言うのは王国臣民としての権利が一部制限され、代わりに保護者の庇護及び管理下にある者のことらしい。奴隷と国民の中間的な存在なのかもしれない。

 「ここで売られている女の子達は、皆奴隷ではなく保護民?」
 「そうですが……ああ、旅のお方でしたね。この辺りの国では奴隷制は廃止されていますよ」

 若い商人が少し不思議そうな表情を浮かべた。どこから来たのか気になったのかもしれない。ヘスペロスは書類を受け取ると、娘を連れて屋敷を後にした。

 「私はヘスペロスだ。君の名前は?」
 「は、はい、ヘスペロス様、私はイリスと申します」
 「よろしく!だが、様はいいよ」
 「そういう訳には……あの、よろしくお願いします」

 イリスはそう言うと、立ち止まってペコリと頭を下げた。
 かなり不安そうな表情だが、突然現れた変な恰好の男が、自分の人生を左右しそうなのだから無理もない。

 「私は妻がいるから、君を性奴隷扱いにはしない。これからの事は相談しよう」
 「本当ですか?ちょっと怖かったので安心しました」

 イリスは少しだが笑顔を見せてくれた。

 「しかし今日はもう遅い。相談は後日にしよう。それと今日泊まる場所だが、実家に戻ったらどうだ?この書類に保護民とあるので、私が君の面倒を見る必要があるのは承知しているが、取り敢えず里帰りという事で……」

 ヘスペロスの家に連れて帰るのは色々と問題がある。
 若干無責任な気もするが、両親の元に帰すの一番良さそうだ。

 「両親に会えるのですか!?それは嬉しいですが、ここからだと馬車で一日くらいかかります」
 「場所を詳しく教えて欲しい。高速の移動手段がある」
 「そ、そうですか……実家はレスリアという街にあります。ロマナの西側に隣接しています」

 ヘスペロスはそれを聞くと、立ち止まって「扉」を開いてみせた。

 「ここはレスリアかな?とにかく行ってみるとしよう」

 あっけにとられているイリスをひっぱるようにして、ヘスペロス達は「扉」を通り抜けた。


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