15.市場にて

 先日身請けしたイリスとは、定期的に連絡を取っている。
 今のところ、イリスの部屋には「扉」で直接訪れている。現地の服が無く、イリス達のお古の服を貰ったが、それで家族に会う訳にもいかない。

 イリスには、折を見てこちらの世界に来て貰い、アリシアの侍女として働くことを提案したが、本人は喜んでいるようだった。アリシアの言っていたとおり、彼女には兄がいて、家業を継ぐらしい。彼には結婚の予定もあり、そうなると、実家には居辛いそうだ。それに娘を売るくらいの経営状況だから、イリスとしても家族に負担をかけたくないのだろう。

 委託販売を頼んでいた胡椒と塩はすぐに売れたそうだ。市場価格をより安価でに販売するように指示したので当然かもしれない。店の取り分を差し引いた額を受け取ったので、新しい服を仕立てるくらいは出来そうだ。だが今後、この販売を続けるべきではないだろう。イリスには責任を持つが、それ以外では、別の世界への干渉はなるべく少なくしたい。現地通貨を得るにしても、各地のフリーマーケットで売るような方法が良さそうだ。それなら目立たずに済む。

 イリスにそれとなく聞いてみたところ、東の端の広場では、定期的に朝市が開かれているそうだ。

 「うちの店でも時々ナッツなどを仕入れに行きます。お買い物ですか?それともエレルの調達ですか?どちらにしてもお手伝いしますよ」

 売る物があるなら、実家の商店で売って欲しいと頼まれるかと思ったが、それは無かった。きっと純粋で優しい心の持ち主なのだろう。イリスからは献身と利他の気持ちを感じる。その気高さ故に、自分を犠牲にしても、相手の希望を叶えようとするのかもしれない。だから家族のために売られても、少しも恨んではいないのだ。

 「まあ大丈夫だろう。困ったら声を掛けるかもしれないが」
 「かしこまりました」

 それからしばらくして、ヘスペロスはアリシアと共に朝市に行ってみることにした。この市場は特に許可制とかではなく、誰でも売買できる。

 「このグラスごと売ってしまってよろしいのですか?中身より高価な気がしますが」

 この計画は単純で、氷入りの冷えたジュースを販売するというものだ。氷は貴重だろうから需要がありそうだと思ったのだ。最初は普通に紙コップに入れて売るつもりだったが、アリシアから、紙コップはこの世界に存在しないと指摘され、急遽ガラス製に変更した。これだと売れば売るほど赤字だが、現地通貨が得られるので妥協することにした。

 「まあ、そうだが仕方ない。回収するのも面倒だ。若干価格は高めにしよう。300エレルでいいか」

 市場で借りたテーブルの上に試しに3杯並べてみた。あまり宣伝しなかったが、時折客がやって来て、氷に驚き、続いて値段に驚いて買っていく。

 「本当にこの値段でいいのかね?これほど透明なガラスは見たことがない」

 貴族風の服を着た年配の男が、ジュースの入ったグラスを矯めつ眇めつしている。

 「大丈夫です。ただ数が少ないので、御一人様につき一つだけの販売となります」

 アリシアが答えると、男は驚いたように声の主を見た。それから大抵の客と同じ様に、少しの間、アリシアを見つめていた。

 「これは驚いた。あなたは貴族の生まれではありませんか?」
 「あの、私は……」
 「内からにじみ出る高貴さに加え、立ち振る舞いや話し方が洗練されている」
 「申し訳ありませんが、私は貴族出身ではありません」

 王族なので、アリシアの答えは間違ってはいない。

 「では何らかの理由で素性を隠されて育ったのでしょう。私が力になりましょう。下賤の者の傍にいるべきではありません」

 この言葉にアリシアは気色ばんだ。怒った表情も美しいが、これは初めて見た気がする。

 「下賤……ご主人様が下賤だというのですか?無礼者!このお方は機械神の……」
 「お客さん、冷やかしなら他所でやってくれ」

 アリシアが妙な事を口走り始めたので、ヘスペロスは慌てて口を挟んだ。同時に小さな「扉」を鞄の底に開いて、中身を外にばらまいた。中に財布らしき物があったので、その下側にも「扉」を開いておいた。

 「それよりあんた、鞄の中身が……」
 「なんと!」

 男は慌てて散らばった中身を拾おうとした。財布を持ち上げると、中の金貨や銀貨が自重で「扉」に落ちていく。

 「ああっ!」

 「扉」は財布の外側に繋がっているだけなので、金貨と銀貨はそのまま地面にばらまかれた。近くを歩いていた市場の客達が気付いて、餌に群がるハトのように集まって来た。親切に拾ってあげるほどのモラルは高くないようだ。程なくして奪い合いが始まった。

 「私の金だ!返しなさい!」

 男が叫んでいるが、一人で市場に来るような下級貴族だ。権力で群衆を従わせるのは難しいだろう。

 「さて、場所を変えるか」
 「も、申し訳あしません。ご主人様……」
 「いや、アリシアは悪くない」

 適当に距離をとって商売を再開したが、元々大した量はないので、すぐに売り切れてしまった。1杯300エレルで100杯売ったので、3万エレルの売り上げだ。短時間にしては悪くないが、やはり胡椒や塩の販売と比較すると金額は少ない。

 「今日は大変だったな。今度からイリスに頼むか」
 「そう……ですね。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 
 そう答えるアリシアは、意外なことにとても残念そうにしている。

 「迷惑なんてことはない。アリシアが嫌じゃなかったら、また一緒にやろう。変な奴が来たら、また逃げればいい。こっちの住民でもないし、趣味みたいなものだから気楽にやろう」
 「はいっ!ぜひお願いします。実はとても楽しかったのです。物を売るなんて初めての体験ですし、それにご主人様と一緒にいられますから」
 「そうか。アリシアが楽しいなら、それでいい」

 ヘスペロスはアリシアと手を繋いで市場を後にした。人気の無さそうな路地に入り「扉」を開く。アリシアがいつものように腕を絡め、ぴったりと寄り添う。

 「では帰ろうか」
 「はい、ご主人様」

 二人で「扉」を通り抜け元の世界に戻る。まだ昼間なので「扉」の先はヘスペロスの家だ。ここでは二人とも普通の恋人や夫婦のように過ごす。アリシアがオダリスクに戻るのは、夜になってからだ。


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