19.残されたもの

 エスカレーターはガラス張りの小さな部屋に繋がっていた。四方の壁がすべてガラスで作られており、壁の向こうには沢山の棚が見えた。棚は見えているだけでも20台以上もあり、それぞれの棚には旧式のコンピューターのような装置が本のように配置されている。

 「ご主人様!女の人が……」

 アリシアが怯えたようにしがみついてきた。
 部屋の中央にはガラスケースが設置されており、中に若い女性が立っていた。茶色の髪に、茶色の瞳。整った容姿で知的な雰囲気を漂わせている。どこか一点を見つめて、まったく動かない。全体的に光を帯びており、高精度な立体映像だと分かる。

 「これは本物じゃない。立体映像だろう」
 「そうでしたか……人形には見えなかったので、剥製かと思ってしまいました」

 アリシアはほっとしたように力を抜いた。確かに人間の剥製が飾られていたら、かなり気味が悪い。

 「彫刻や像の代わりなんでしょうか」

 近づいてい見ると、ケースの下部に名前とメッセージが刻まれている。床に固定された台座には装飾が施されており、一時的に置いてあるという感じはしない。

 「オフィーリア・バロウ博士。(2302-2330)あなたの科学と人類への献身に感謝を込めて」

 ヘスペロスはアリシアのために、台座に刻まれた文字を声に出して読んだ。

 「何かを研究していた方なのですね」
 「そうだな。普通の研究者は、部屋に像を飾ったりしないが……」

 バロウ博士の視線の先に、大きなモニターが設置してある。立体映像ではないが、牧歌的な風景が映し出されている。超高解像度らしく、まるで窓から景色を見ているようだ。

 「どこかの村みたいですね。特定の人を追いかけているみたい」

 アリシアがモニターに近づいて、その中心に映っている人物をじっと見つめた。ビデオカメラの映像だとしても、固定カメラではなく、誰かが撮影しているようだ。右下に2520ー0704と表示されているのは、タイムコードかもしれない。

 「ああ、きっとこの方ですね」

 映像の中央には像と同じ茶色の髪の女性が映っている。草原の中に木で作られた家があり、オフィーリアという女性は、そこへ向かって歩いている。

 「中に入ってしまいました……」

 撮影者は家に入る事はなく、ただずっと家を映している。まったく動かないので静止画のようだが、風で草が揺れているので、撮影は停止していないと分かる。

 「記録映像だとしても、目的が分からないな」

 二人でしばらくの間、この静止画のような映像を見つめていたが、変化する様子はない。

 「この右下の数字は撮影した日付でしょうか?」
 「普通はそうだが、2520が西暦……人間たちの使う暦なら、今年撮影されたことになる。バロウ博士は2330年に亡くなったとあるから、撮影日ではなさそうだ」

 つまりモニターが現在の日付を表示しているだけだろう。映像ファイルにはタイムコードが埋め込まれるのが普通だから、再生装置が見つかれば表示できるかもしれない。

 「だが撮影の日付は表示できるはずだ」

 状況から考えて、映像はこの部屋から制御できないと不便だ。しかし部屋に設置されているそれらしい装置はこの大型モニターだけだ。

 「モニターの映像の情報を表示してくれ」

 ヘスペロスはモニターの上部の枠の穴に向かって音声入力を試みた。西暦2300年代は旧式のコンピュータの進歩が頂点に達した時期だ。音声によるインターフェースが機能する可能性は高い。ただ、この穴がマイクかどうかは分からない。

 モニターは何も答えなかったが、映像は少しだけ変化した。場所と日付、それと負荷率や何かの資源の使用率が表示されている。

 「日付は右下の数値と同じだから、撮影日は分からないな。それと、この建物はやはりバロウ博士の家らしい」
 「この機械は話が分かるのですね?」
 「ああ、だが実際の相手は外のコンピュータだろう」

 ヘスペロスはガラスの壁の向こうの、棚に設置された無数のコンピュータを指さした。
 
 「なるほど、ではこの表示する機械が取り次いでくれるのですね。ちょっと頼んでみてもいいでしょうか?」
 「ああ、自由に試してみるといい」
 「ありがとうございます。あの、オフィーリアの家の中を見せてください!」

 これは映像だから難しいのではないかと思ったが、それはヘスペロスの間違いだった。映像が変化すると、家の中が映し出した。カウンターテーブルやキッチンシンクのようなものが見えるので台所だろう。そこでオフィーリアは料理を作っているようだった。

 「家の中の映像も記録されているのか……ちょっと妙だな」

 何の記録か分からないが、家の中と外を平行して撮影する理由が思いつかない。

 「他の場所も頼んでみましょう。オフィーリアの家の寝室を見せてください!」

 アリシアがモニターに向かって話しかけると、再び映像が切り替わった。そこはベッドのある寝室で、ヘスペロス達の寝室とあまり変わらない。ただ、灯りが消されていて少し薄暗い。

 「なんだか、どのお部屋でも見られる感じがします」
 「確かに……浴室を見せてくれ」

 映像が瞬時に切り替わって、今度は浴室が表示された。大きな浴槽にかけ流しの湯が流れ込み、そのまま溢れ出している。温泉なのかもしれないが随分と立派な風呂だ。

 「素敵なお風呂ですが、やはり誰もいませんね。誰かお風呂に入っていたら、それも困りますが……」

 アリシアは上品に含み笑いをして、ヘスペロスを見つめた。ヘスペロスは答える代わりにうなずいたが、アリシアと視線を交わすのは心地よかった。心が繋がったような気がするのだ。

 その後、何度か試してみたが、玄関や客室等も指示通りに表示される。見た目は撮影された映像だが、どうも異なるようだ。

 「この映像はCG……コンピュータが作り出した偽物の世界なのかもしれない」
 「こんなに本物そっくりなのに、偽物……」
 「確かに、本物を撮影した映像と区別がつかないほど綺麗だが、この時代の旧式のコンピュータでも、それは可能だろう」

 この世界の管理者であるAAIは、この時代のコンピュータよりも高度な処理能力がある。本物と区別のつかない立体映像をリアルタイムで生成することも可能だ。アリシアは食材を選ぶ時に立体映像をいつも見ているが、モニターに映し出された3DCGは初めてかもしれない。

 「何にしても映像の目的は不明なままだ。研究資料を入手して調査してみよう」
 「そうですね」

 ヘスペロスは念のため、カメラの視点を家の外に戻した。それから二人は上の階へ向かう事にした。コンピュータ室の近くは、ファンや空調の音なのか、ゴーゴーと絶え間なく音がしている。研究室を配置するなら、わざわざこんな場所に作らないような気がしたのだ。


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